全力で悔しがろう
いつから悔しがることを避けるようになったのだろう
なんでもググれる時代は、
情報の先回りをして「負け」を避けることができる
でも、頭で考える勝ち負けなんて、宇宙から見ればつまらないもの。
一心に、ガチでぶつかる泥臭さが
活きるプロセスを豊かにする
オリンピックを観ていてふと感じたことでした。
床に伏せるほど悔しがる姿に、
呆然と宙をあおぐ姿に、
長らく、こんな思いをしていないなぁ、と。
今や、なんでも調べることができて、
悔しい結果を回避することができる。
傷つかない選択が、
できてしまう。
自分の、頭で考える勝ち負けなんて、
この世界に生まれてきた奇跡に比べれば、
ほんのほんの小さなたくらみに過ぎないような。
ここに生きる限り、
人生という決勝戦は
心の底から湧き出る
ポジティブなエネルギーを
いかに長い時間アウトプットできるか。
真剣勝負に挑まないのは、
エネルギーがもったいないな。
真剣だから、応援できるし、応援されるんだ。
そうして負けて悔しがる姿は、カッコ悪いと映らない。
人によって、いろんなフェーズがあって一定ではない。
全力投球のとき、
フィードに上がろうとするとき、
ウォーミングアップのとき、
基礎固めのとき・・・
それぞれタイミングは違うけど、
どんなフェーズにいても、
いつも心底ワクワクすることだな。