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想いに優劣も勝ち負けもない

ほんとうに勝つべくは、どこなのか?
今、負けじとしている対象に、勝つ必要があるのだろうか?

 

前職の経営コンサルティング会社で、
モデルとなる企業や成功事例を取材する中、
注目していたのは、唯一無二の「代表の想い」でした。

世の中には、経営や商売にまつわる
新しいツールやソリューションやおいしそうな情報は溢れています。
だけど、
同じソリューションを導入してもみんな同じ結果にならないのは、
「何のために」「どのように」「こうなったらいいな」と
想い描く未来像が違うから。

 

経営は「人」が行うものだから。

 

代表の方にお話を聴いていくと、
その人が大切にしていること、
描いている理想、
背景、
許せないこと、
哲学、
お人柄、
人間性がみえてきました。

 

乗り越えてきた、歯を食い縛ってきた過去、
腹をくくった時、いたたまれない想いをしたこと、
リカバリーできないかもしれないと感じた失敗、
不安で不安でたまらなかった経験も、伺えました。

社員のみなさんの頑張りもさることながら、
経営の99%は社長で決まります。
施策も、「どんな想いで取り組むのか?」によって
結果が変わってくる。
社員が変わってくる。オフィスやお店が変わってきます。

 

■想いが強みに変わる

代表と社員と共に、
全力で向かう未来を明文化したものが
「ビジョン」とよばれるものだろうと思います。

自問自答を繰り返し、決断を重ね、
時には悶えながら研ぎ澄まされていった代表の想いは、
その会社のキラリと光る強みになります。

たとえば、街のカバン修理やさん。
1分1秒を無駄なく仕事に精を出してもらえるよう、
速さを追求するのか、
カバンを人生ともに歩む伴侶として
大事に長く使えるような技術を追求するのか、
大切にしていることを掲げることで、
想いに共感されるお客様から求められるようになります。

 

想いが強みに変わることで、競合という概念が変わるのだと、
さまざまな企業から学ばせていただいて感じました。

 

ライバルとは、闘志を燃やしてくれるエネルギーであり、
それ以上に執着するためのものではありません。
勝ち負けは、フェアなルールのもとでおこなうゲームであり、
蹴落としてのしあがるものではありません。
劣等感はのびしろであり、士気をなくすためではありません。

意識を向けるべくは自身のビジョンであり、
そこに共感してくれる支持者。

 

■個の想いは、他人との比較対象にならない

人生も同じだといえます。
「人生の経営者は自分」だとすれば、
自分はどんな想いで、どんなことを大切に生きるのか?

他人とは、優劣でなく共感しあって、支え合って、
お互いの大切なことを分かち合っていけたら、
劣等感や罪悪感を抱く必要はないことがわかります。

 

競争は悪いことではないけど、
わたしのような就職氷河期時代をはじめ、順位、ランク、競争で
自身の位置を測られてきた世代は、
無意識に優劣で自分と他人を比べがちです。

自分が勝っているのか、劣っているのかは
人生にとってそれほど重要でしょうか?
自分でない誰かと、自分をモノサシで測ることに
恐れたり安心したりを繰り返す人生には、意味があるのでしょうか?

 

意識を向けるべくは、自分自身のビジョンであり、
そこに共感してくれる人たち。

自分の想いに従い、その想いに沿って周りの人を大切にして、
自分らしく生きられる100年人生だったら、
あっという間に過ぎるように思います。

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